No Pain, No Gain

気がつけば不惑、それでも今日も絶賛迷走中。

アンポの是非を今更問うてみる

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photo by Dick Thomas Johnson

ブログを始めるにあたって、極力政治の話をすることは避けようと心に決めていた。

 

大体、大人のマナーブック的なものにも「政治・宗教の話題は避けましょう」って書いてあるし。そのへんのタッチーな話は触れない方が、お互いに幸せだったりするよね?みたいな。

 

とりあえず、大人ってのは天気の話と下ネタ話しておけば外さない的な、そういう感じですか、ですよね。ということで僕自身このブログのみならず、社会生活においても、極力下ネタしか話さないように心がけ、上司に「てめー、あの資料今日の朝までにやってこいっつっただろ!何、夜しっかり寝てんだよ!どうするつもりなんだ!」と恫喝されようとも「いやー、僕って朝立ちは半端ないんですけど、ここぞというときにはダメなんですよね...」としおらしく見せることで「お、おぅ」とそれ以上の追求を回避してきた。目には目を、パワハラにはセクハラを。どこぞの教典の教えも取り入れつつ、社会の荒波に飲み込まれず、新型うつにも感染せずになんとか無病息災でやってきたつもりだ。

 

だが、今回の件だけは、日本人として生まれ、日本を愛するが故に、やはり黙殺することはできない。中国でも大々的に報道されており、何万人もの人が立ち上がったという。

 

ということで、時すでに遅しの感も無きにしも非ずだが、敢えて今ここで問いたい。

 

 

 

 

 

誰だ僕のデリケートゾーンをアンポ柿みたいと言った奴は!!

 

アンポ柿とは?

あんぽ柿 - Wikipedia

 

やー、なんか投げやりだわー。とりあえずやっつけで書きました的な感じだわー。(実際今回どれだけ早く書けるか試してみた、というのはここだけの秘密だ)

 

本質には触れないんだけど、今回のケースでは「メディアの役割」を意識せざるを得なかった。ネットもあるし情報がたくさん得られる錯覚を覚えるけど、「本当にそうかな?ムフフ」とどこかで誰かが思っているのかなあという怖さを感じる今日この頃。情報の取捨選択をする能力が試される時代。ブログを炎上させて、批判をスルーすることでその能力を鍛え上げるのが、一流ブロガーの証だと信じて今日もキーボードを叩く。

ま、チラ裏ですけどねー。

息子が急にモテはじめたので、親がソワソワする話

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photo by imjoshdotcom

どうやら長男がモテている。大変けしからん。

奥さんによると、よくクラスメート(女子)のお母さん達に「あー、あなたが長男くんのお母さん?うちの子、帰ってくると長男くん、長男くんっていっつも言ってんのよー」と言われるとのこと。非常にけしからん。

確かに学校のイベントに参加した時に、可愛い女の子が「腕くんでー」ってまとわりついてたし、「もしや?」と思ったりしたんだよな。

 

親の反応

僕自身は「そうかそうか。もうモテ期が来ちゃったのか。20歳も過ぎたら、きっとそんな美味しい状態はないだろうから、今のうちに堪能しとけよ」などと心の中で密やかに羨ましく微笑ましく思っていた。

けれど、奥さんは女子(最近30代女性は女子なの?女子はいつまで女子なの?童貞はいつになったら魔法使いになれるの?)の目線でより細かく分析していて、「呑気なものですね。あっという間に終わりです。」とのこと。

 

長男のモテ期がすぐに終わる理由と今後の展望(妻より)

・今の学校は生徒の大半が中国人(=香港・台湾出身者)

・(特にインターに通う富裕層の)中国人の子供は運動しないので太っている

・小・中学生の女子は運動できる男子が好き

・長男はサッカースクールに通っているので、運動は人並みにできるし痩せている。

 →以上の理由で、消去法的にモテざるを得ない

ということであり、

・仮に日本に帰国すれば、平均的な運動能力のため、埋没する可能性大

・仮に日本人学校にでも進学しようものなら、半端なく習い事漬けになっている駐在員の子供たちとの競争となり、これまた埋没する可能性大

ということらしい。妻はひどく手厳しい。あれかな?息子が取られちゃうーっ!みたいな危機感?

 

今後の進学問題をどうするか...

このまま息子に優越感を覚えさせ、自信を身につけさせるためにインターに通うことを継続するべきか、来たるべき日本帰国に向けて日本人小学校への転校をするべきなのか、悩みは深い。(でも、変に外国でモテたまま、身の程を知らずの人間を育てるのもどうかなあと思ったりする)進学問題の根は深く、このようなことまで考えなければならないのかと思うと、親という仕事は大変だなあ、としみじみ思うのだった。まる。

 

なお、当の本人は冷やかされると「僕は女の子が好きじゃない」と言ったりする硬派野郎であり、実は我が家で一番冷静に物事を捉えている可能性がある。

 

モテキ(1)

モテキ(1)

 

 

どこでもドアのその先へー僕が子供に本を読み聞かせる意味

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絵本を読み聞かせるという習慣

我が家ではほぼ毎日寝る前に本を子供に読み聞かせている。(ほぼ、というのは日中に遊び疲れて風呂に入ることもままならないくらい眠たい場合以外は絵本を読んでいるという意味)

 以前このブログでも紹介した虹文庫や、長男が学校の図書館で借りてくる本や童話館のぶっくくらぶで配本される本を何度も何度も読む。長男は「僕が寝ても読み続けてね」とよく言う。安心して眠るための子守歌のような存在になのかもしれない。

 

子供達にとっての「本」の意味

子供たちが多くの本に出会うことは、本当に大切だ。なぜなら、子供達の見ている世界は、大人の見ているそれよりも遙かに狭くもあり、広くもあるからだ。

矛盾したことを言っているのだけれど、「現実の世界」という意味では子供たち自身が見聞した経験は言うまでもなく大人よりも乏しいので世界は狭いと言える。けれども、大人が現実を知ったがために失われ、子供達の果ての無い想像力が作り出す「夢の世界」はどこまでも広い。(長男がこの間「タコとキャベツの国がある」と言っていたが、大人の発想では思いつきそうで思いつかない。たこ焼き?)

その想像力をかき立て、世界を拡張していくための道具が本なのだ。そして、本を読み始めるための導入として絵本が有用なのはいうまでもない。現実のような夢のような不思議な世界の入り口があるんだよ、と子供達に絵を通して視覚で認識させてあげることができるのだから。

絵本を読み聞かせてもらうという習慣から、子供が自分自身で読むというステップが踏めたらたらいいなあ、と思うのだが、読み聞かせは読み聞かせで子供との良いスキンシップの方法でもあるので、やめられないしやめたくない。

 

我が家にとっての(日本の)絵本を読むもう一つの意味

ところで、我が家は海外で生活をしていて、子供達は二人ともインターナショナルスクールに通っている。当然学校での教育は日本で行われるようなものとは異なり、基本的には英語が母国語となる人達のための教育が中心になる。

日本の童話を意図的に教えてあげないと、子供達は「桃太郎」「金太郎」といった古典的な昔話や「ごんぎつね」のような誰もが知っている名作を知らないというようなことが起こりうる。すると、日本人にとっての「お約束」というか「お作法」というか、日本人であれば共通の理解があってしかるべき部分が欠けてしまうので、日本人として当然の所作をするための基本的な土壌がなくなってしまう懸念があるのではないかと心配している。

分かりにくい例だけど、笑点を知っている人が、知人から「座布団1枚!!」と言われれば、自分の言ったギャグが評価されたと理解出来るが、笑点を知らなければ「座布団って何のこと?」とすっとぼけたことを言ってしまう、といったところか。

そのような我が家の理由もあって、子供達には毎日でも本を読んであげたい。(日本の絵本に限定する必要はもちろんないと思う。子供が借りてくるのは英語の本なので、むしろ自分の方が「この単語なんだっけ?」と勉強になることさえあったり...)

 

まとめ

繰り返しになるけど、本は想像力を広げ、世界を広げるための道具。どこでもドアはドラえもんのび太を行きたいところに連れて行く。つまり思い描けなければ、思い描かなければ、現在立っている地平がドアの向こうに続くだけ。世界を広げてどこでもドアのその先へ大きな飛躍をするために、今日も子供達と、本を読む。

 

 

これまでの絵本シリーズ

 

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