No Pain, No Gain

気がつけば不惑、それでも今日も絶賛迷走中。

家のテレビが壊れたので、テレビはこの世から消えてよし!

http://www.flickr.com/photos/51812388@N02/5024431256

photo by Roman Harak

ある日我が家のテレビが壊れた。というか壊された。

何者かが画面を鈍器で殴りつけて壊した模様で、容疑者は中年女性*か2人組の兄弟というところまで絞り込まれている。ただ、残念ながら現行犯で取り押さえられず、また犯行現場付近には物的証拠が残されていなかったため、犯人を特定することは難しい状況だ。

しかし、「犯人は現場に戻る」とはよく言ったもので、毎日容疑者達は現場にやってきて、すやすやと寝ているのだから、肝が据わっているとしかいいようがない。

 

さて、テレビは壊れたのだが、あまり困っていない。我が家にはリビングと家族全員が寝る寝室に1台ずつテレビがあるのだが、我が家ではほとんどテレビは見ていないからだ。

 

何故我が家ではテレビを見ないのか。

別にテレビやネットでトレンドフォローする必要がない、ということかもしれない。

学生のころは周りと話題をあわせるために「流行っている番組」を観て、翌日学校でその話をするということがよくあった。ただ、オッサンになってしまった今では周囲との話題になるのはテレビ番組ではない。鉄板ネタは天気か下ネタだ。残念ながらこれらの話題にはさほど流行による影響がない。(「午後7時の妹」が不倫していた云々と、下ネタ及び天気でありテレビ番組という複合的なネタに発展させることは可能だが…)

それにしても本当に驚く程に「観たい!」と思える番組がないのだ。強いていえば、動物が出ている番組くらいならば、たまには観て癒やされそうか、と思わなくもない。ただ、家の近くにある上海動物園に行けば、パンダも象もキリンもライオンもいる。何より、2人の息子たちというおもしろ動物がいるので、動物ウォッチングは充分と言えば十分。

 

改めてテレビとは。

僕自身、子供の頃にはテレビを中心に一家団欒があった。テレビを見ながら晩ご飯を食べ、食べ終わってからもテレビを見て、風呂から上がってもテレビを家族で見ていた。一家団欒の原体験を思い出そうとすると必ず茶の間で食事を囲みながらひょうきん族やドリフを見ている様がありありと蘇る。夜中に寝酒を飲む父親の膝の上で11PMを見たのは良い思い出だ。

 

中学、高校、大学と成長につれて、自分の部屋が出来、自分専用のテレビを持つようになると、夜から深夜の番組を見ることが多くなった。ガキの使いを見たり、ドキドキしながらトゥナイトを見たりした。

 

いよいよ社会に出ようという就職活動をしてい時にはテレビ局は就活ヒエラルキーの中でもかなり上位にあったように思う。テレビ局に内定を貰っていた友人達はかなり浮かれていたように思うし、正直羨ましいなあとも思った。とはいえ、この頃から徐々にテレビ番組に対する思い入れというか思い出がなくなってきた。

 

そして、昭和生まれが古くさく感じられる現代、社会に出て人の生き血と泥水を啜る立派なオッサンになってみて、テレビ業界に就職しなくて良かったなあ、と心の底から思う。何せ、僕の人生にもはやテレビはほとんど必要ないと言えるから。本当に心の底から見たいと思える番組もないし、無駄にダラダラ見て時間を潰そうと思える程、もはや自分の人生に残された無駄な時間はそう多くない。自分に必要の無いものを生業にすること程、虚しいことはないだろう。

 

テレビが生まれて5-60年。まさかこんな時代がやってくるとは。(別にだからといって、ユーチューバーがすごい、ネット時代マンセーというつもりはない。それらのメディアも僕が千の風になる頃には、テレビの墓の上に新たな墓を建てているかもしれないし)

 

一体何がここまでテレビをインポテンツにしたのか。

テレビを見ること以外にやることが沢山増えたから、と言われる。一昔前のご老人達は夕方大相撲を見るくらいしか余暇がなかったのが、健康寿命が延びて、多様な趣味を持つことが出来るようになった、とか。

 

僕もその意見に同意したい。別にテレビ以外に楽しいことは世の中に沢山あるし、基本的に受動的な娯楽であるテレビには、心を揺さぶる体験の共有、という娯楽における重要な部分でどうしても越えられない壁がある。心を揺さぶるために五感に訴えようにも、テレビでは「視る」ことと「聴く」ことしか共有できない。だから、そもそも娯楽としての完成度が実はそこまで高くない。(娯楽以外の側面で、テレビの持つ「情報の発信源」としての役割がインターネットと携帯やスマホの出現で相対的に低下したことも、テレビの地位低下を決定的な物にしたことは言うまでもない)

 

なので、単純に「テレビ業界の怠惰だ。人々を釘付けにすることが出来ない、コンテンツの乏しさ、創造性の乏しさがテレビ衰退の原因、以上」とも言い切れなくて、まあ要するに構造的に斜陽産業になりつつある(というか、既になってる?)というありきたりな結論に到る。

 

個人的には、少子高齢化を迎えた日本では高齢者向けの焼き直しコンテンツがある程度の需要があるとは思う。僕自身は「北の国から」の続きが見たいなあ、と思わなくもない。

 

おわりに

こうしてテレビの終わりについて考えてみたのだけれど、家のテレビを破壊した容疑者はもしかするとこのような僕の思考を読み取り、「もはやテレビなんてこの世に不要なのだ。汚物は消毒だー!」といった勢いを行動に移しただけなのかもしれない。

でも、まだPCのディスプレイとしての利用価値はあったんだけどな...。(逆に言うとそれくらいしかもう利用しない)