No Pain, No Gain

気がつけば不惑、それでも今日も絶賛迷走中。

判断ミスを取り返すのはすごく労力が要るという話-子供の習い事を巡る顛末

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photo by Angela Radulescu

とあるスイミングスクールで子供に2年間スクールを習わせていたのだけど、先日やめて別のスクールに移籍したのだが、この判断プロセスとその結果が非常によくなかったので、敢えて自戒の意味を込めて書くことにした。

 

経緯について

やめるに到った原因は「サービス品質の低下」。

・当初は幼稚園児の生徒5名に対してコーチ1人でしっかり教えて貰うことが出来た。

・人気が出て生徒が増加する一方でコーチ増員はなし。傍目に指導を受けて泳いでいる時間より浮かんで待っているだけの時間が長くなってきた。

・そんな中で近所にあったスクールの体験レッスン行ってみると生徒が少ない。コーチは専門的な人ではない(ボランティア?)のだが、非常に懇切丁寧で熱心。

・最終的にどちらかに絞る前提で6ヶ月両方に通わせた

・最初に通っていたスクールに改善の兆しが見えないので辞めた

という流れ。

 

通うのをやめてからまだ2週間程度なのだが、以下2点モヤモヤしている。

モヤモヤしているポイント

1.状況を改善するための自助努力をしていない

スクールに人数制限をかけるでもなく、ひたすら生徒を増やす運営方針から「子供の育成の視点よりも利益を上げることに軸足を置いている組織だろうから何を言っても無駄だろう」と、話し合いをするでもなく見限った。

本来であれば改善出来るかどうか分からなくても、運営する側がどのような考えを持ってスクールを開設しているのか、自分はどのような希望を持っているのか、お互いに摺り合わせるような努力をすべきだったのではないか?モヤモヤしている。

 

そして、より問題だと思っているのが、

2.判断する上で子供が主体になっていない

実は、今回の移籍をするにあたって、長男にはほとんど話をしていなかった。そのため、やめた後でこんなやりとりが発生した。

 

僕「○○スイミングやめたから、××スイミングで頑張ろうね!」

長男「え!?○○やめちゃったの!!なんで?どうして!?」(←ここで初めて知った)

僕「ずっと2つのスクールには通えないでしょ?どちらか選ぶとしたら、近くて泳ぎが上手になる方がいいよね?」

長男「・・・」

 

理由を説明しても、今1つ納得いかない様子。それはそうだ。

今回の流れからしても、理屈としては分かるかもしれないけれど、感情的に受け入れられない、というのは自然なことだと思う。2年間もやっていればコーチも仲間たちも見知った顔だし、本人的にはスクールでがっちり教わるにせよ、水に浮いているにせよ、遊びに行っている感覚のようで、その楽しい遊びの場が1つ失われた、ということでショックだったようだ。

スクールに通ってるのは長男自身な訳で、まず尊重しなければいけないのは「彼自身はどう思っているのか?どうしたいのか?」という一点のはず。そこは大人とか子供とか関係なくて、1人の人間として極めて自分勝手なことをしたと反省。(親のエゴで子供に習い事をさせている、ということの証左でもある)

まとめ

書くにつれ、今回の対応は「都合が悪いことから逃げる」発想だよなあと情けなく思えてきた。スクールと話し合い、子供と話し合い、そしてお互いに納得出来る理由が見つかったところで行動を起こすべく決断する、というのが正しいプロセスだったのではないか。

自分自身がしっかり納得出来ていないのに、合理的っぽい結論に飛びついて行動したというのは拙速過ぎる上に表面的で短絡的な行動すぎる。

 

よくないよなあ。まだ挽回する方法はあるようにも思うのだけど、腰が重い。

誤った行動を取り戻すために使うコストは、最初に正しい行動をするためのコストより遙かに大きい、ということを今身にしみて感じている...。

 

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