No Pain, No Gain

気がつけば不惑、それでも今日も絶賛迷走中。

自分がモブキャラだと気がついた

教師にグーパンをお見舞いし警察の御世話になったアイツや、3学期の終わりになっても「夏休みの宿題未提出者リスト」に書かれていたアイツ、身長が誰よりも低いのに誰よりも先に下の毛が生えてきたアイツのことはすぐ思い出せるのに、当時の姿形がイメージできないヤツがいる。

Facebookを通じて僕の知らない間にどうやら行われていたらしい同窓会での写真を見つけたが、名前を見ても「誰だっけコイツ?」と全く思い出すことができないやつがいる。そういう奴らをモブキャラと称することにする。

 

そう、モブキャラは僕だった。

 

僕はクラスの中心にいた。成績は上の中くらいで、先生からの覚えもめでたく、生徒会メンバーを務めて、ユーモアに溢れ、しかし運動はからっきしダメということもあり出来杉君のように嫉みを受ける事も無く、誰からも慕われていた、はずだった。

会社の中でも、ちょっとおちゃらけた天然キャラ風のヤツ。飲み会では中心になるわけではないが、僕がいれば宴会は常に笑いが絶えない、僕はそんなヤツのはずだった。

だが、同窓会の案内は来ない。昔の同僚の結婚式案内も来ない。気がついた後輩がおずおずと「転送します...」と送ってくる。

 

なぜ?

いつの間に僕は全く無個性で取るに足らない存在、モブキャラになっていたのか。

 

「ありきたりなことを言っている自分」「世の中で普通にいる良い人たろうとする自分」がいるような気が、実はちょくちょくしている。「それに気がついて、ちょっと変なことを言ってみる自分」、「反動で少しだけ毒づいてみる自分」も時々現れる。

考えてみると、それも含めて個性がないということなのだろうか。

 

自分は結婚もして、子供もいるのだが、この後定年退職まで働き、年金が少ないとぼやきながら、何かの病気にかかって、子供や孫に看取られながら死んでいくのだと、うっすらとそんな予感もある。「いやいや、そんなの勘弁」と、一念発起して起業。街の弁当屋として仕事に忙しい毎日を送り、経済的に豊かではないが、ゆとりのある日々を送りながら大往生、あるいはアフリカの未開の地にて未知の資源を探るという一発狙いの勝負に出て、謎の病気にかかり頓死、それもあり得るかもしれない。

ただ、どんな風に生きて死んだとしても、比較的近しく接した人の心にさえ残ることが出来ないのではないか、というか多分心に残らないのだろうと、諦めに近い思いさえある。

 

モブだから歴史に名前は残らない。モブである僕にまつわる記録や記憶は速やかに風化して全て無になる。モブであることに気がついた僕はせめて周りのモブのふりをしたモブでない人々に心をかき乱されずに、つつがなく生きていきたいと思っている。

 

無名 (幻冬舎文庫)

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