No Pain, No Gain

気がつけば不惑、それでも今日も絶賛迷走中。

親が出来ないことを子供に期待する理不尽さ

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photo by Swansea Photographer

長男の教育環境

長男は現在インターナショナルスクールの幼稚園に通園中です。
クラスメートに日本人はおらず、全員外国人(上海に暮らしているので本来僕たちが外国人ですが便宜上...)なので、親との会話=日本語/学校での授業=英語/友達との会話=中国語ないし英語、という結構凄まじい環境に身を置いています。
 
通園当初は毎朝泣いていた彼も、最近では楽しいようで「早く学校に行きたい!」などと言ってくれるように。日本語さえもたどたどしい状態で中国に来た中で、えいやーっとインターの幼稚園に放り込んだので、正直どのように外国人達とコミュニケーションを取っているのか興味津々でもあり、とても心配ではあったのだ。いやーよかったよかった。
 

僕の教育に関する立ち位置

翻って父親の英語のレベルはどうなのか、というと多少読めるが全然話せないという、非常に残念な水準です。(こちら↓のエントリーをご参照下さい)
ということで家庭における英語教育については、英語圏への留学経験もあって英語に不自由のない奥さんにえいやーっと丸投げ、もといアウトソーシング。やっぱり効率化は大切。
 
情けないなあ、申し訳ないなあと思いながらも、極力あんまりこっちに振らないでね、と横目でチラ見という卑劣な手段を採用してきたのです。(なので、学校の選定とか三者面談等々も奥さんにお任せしている。僕のあるのかないのかわからない名誉のために補足すると、日本語教育その他の面ではそれなりに関与している、つもり)

 

満を持して登場した父による教育的指導とその結果

ある日「『大好きなオモチャ』というテーマでプレゼン(当然英語で)」という課題が与えられてきて、奥さんが指導教官となって練習しようとするものの、長男くんはモジモジして練習する気なし。奥さんも長男も「やりなさい!」「やりたくない!」とヒートアップ!
これは家族の危機だ!!
 
僕は英語教育について卑劣な手段を採っていたため、第三者の立場であると勝手に自負していたので、教育的指導をすべく彼を別室に連れて行ってこんな話をしてみた。
 
 ・お父さんは英語が全然できないし、うまく話せない。
 ・日本人なので、英語を上手に話せなくても当たり前だと思う。
 ・つっかえつっかえで構わない。少し話せるだけでも素晴らしいと父は思う。
 ・お父さんが先にやってみるから一緒に練習しよう。
 
奥さんが作成した原稿を見ながら、僕が1度やってみせ「やってごらん」と促すと、僕より全然流暢。ていうかネイティブ?子供は耳が良いから言葉を覚えるのは早いというが...。
「できるんじゃん!すごいじゃん!」と、褒めながら、僕は思った。
下手でも一生懸命頑張ればいいんだよ!とか説教臭い事言ってたの恥ずかしいんですけど?(子供は状況に応じて言語を使い分けていると思われる。「こいつに英語で話しても、どうせ通じないしな、、、」ということなのだろう)
 

あとがき

親は子供の前途に未知の可能性を想って様々な期待します。
自分自身が成し遂げられなかったことを子供に実現して欲しいということだったり、自分が経験してよかったと感じたことを子供にも経験して欲しいというだったり。
それは極めて自然なこと。親が子供に幸せになって貰いたい、のは当たり前だから。
 
ただ、その「幸せ」というのが、あくまで親の視点からだけ見た「幸せ」であることは肝に銘じるべきでしょうね。今はまだ良いけれど、子供の成長につれて形作られてくる「子供自身が望む幸せの形」との乖離が出てくる日がいずれ必ず来るでしょうから。
 
ていうか、そんなこと言ってないで、僕は英語の勉強した方がいいかもしれない。

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